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東京地方裁判所 平成7年(ワ)26079号 判決 1999年3月12日

東京都港区西麻布四丁目三番一〇号

原告

有限会社ドゥリエール

右代表者代表取締役

田崎正巳

右訴訟代理人弁護士

草野耕一

竹原隆信

櫻庭信之

山口勝之

石本茂彦

右訴訟復代理人弁護士

井上健二

佐藤理恵子

田中久也

臼田啓之

川崎市麻生区上麻生三丁目一五番一号三〇四

被告

石原洋

右訴訟代理人弁護士

山川萬次郎

吉村誠

右訴訟復代理人弁護士

小山信二郎

手塚富士雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  請求

被告は、原告に対し、金一億九〇九三万円及び内金一五七四万七〇〇〇円に対する平成七年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、レストラン、喫茶店の経営、洋菓子、惣菜、加工食品の製造及び販売、フランチャイズチェーンシステムによるレストラン及び洋菓子店の募集並びに経営指導等を目的とする会社であり、昭和五〇年代半ばから、ケーキ等の菓子類を製造し、これを原告の経営に係る東京都港区西麻布所在の喫茶店「ルエル・ドゥ・ドゥリエール」等において販売すると共に、東京都内及び近郊の喫茶店、デパート等に販売している。

2(一)  被告は、昭和六三年五月二三日から平成七年一二月三一日まで原告の専務取締役であった。

(二)  被告は、原告に出資し、原告の持分を有していたが、平成三年一一月二七日、原告の持分を有する和田良知、和田和子と共に、ヨーロピアン シュガーエス・エー(以下「ヨーロピアン シュガー」という。なお、その後、「アータルネーデルランドビープィ」に商号変更された。)及び原告との間で、次の内容の持分譲渡等に関する契約を締結した(以下、この契約を「持分譲渡契約」という。)。

<1> 被告は、原告の持分の一四パーセント、和田良知及び和田和子は、各自原告の持分の二八パーセントを、ヨーロピアン シュガーに譲渡する。

<2> 被告、和田良知及び和田和子は、平成三年一一月二七日から平成一一年一一月二七日まで、日本国内で食料・飲料製造業、食料・飲料卸売業及び飲食料品小売業を営まない(以下、この約定に基づく義務を「競業避止義務」という。)。

(三)  被告は、原告に対し、原告の取締役であった昭和六三年五月二三日から平成七年一二月三一日まで、有限会社法上の忠実義務及び委任契約における善管注意義務を負っており、それと共に、平成三年一一月二七日から平成一一年一一月二七日まで、持分譲渡契約に基づく競業避止義務を負っている。

3  和田良知は、原告の取締役会長であったが、平成六年一二月一日、原告の取締役会長を辞任し、平成七年八月一四日、レストラン、喫茶店の経営、フランチャイズチェーンシステムによるレストラン及び洋菓子店の募集並びに経営指導等を目的とする有限会社ファクトリードゥリエール(平成七年一二月二〇日、「有限会社ピー・エム ファクトリー」に商号変更し、同月二七日、その旨の商業登記がされた。以下、商号変更の前後を通じて、「有限会社ピー・エム ファクトリー」という。)を設立してその取締役に就任した。和田良知は、レストラン、喫茶店の経営、フランチャイズチェーンシステムによるレストラン及び洋菓子店の募集並びに経営指導等を目的として平成三年一一月一九日に設立された有限会社ルエルの取締役も兼ね、有限会社ピー・エム ファクトリー及び有限会社ルエルの事業として、原告の元従業員と共に、原告の製造するケーキに酷似したケーキを製造し、これを、原告の顧客に対し、原告と同様の方法により販売し、原告の顧客を奪った(以下、和田良知のこのような行為を「競業行為」という。)。

4  被告は、次のような行為を行い、右3の競業行為に加担した。

(一)(1) 被告は、平成七年九月ころ、競業行為の準備のため、ルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長であった関根俊成に、業務上の必要がないにもかかわらず、原告のケーキ工場での勤務を兼任させ、ケーキ工場のスタッフに、原告のケーキ製造業務を全部見せてやって欲しい旨を述べるなどして、関根に、原告のケーキ製造の技術又は現場に直接触れる機会を与えた。

(2) 被告は、平成七年一〇月ころ、競業行為の準備のため、柳本牧絵を営業アシスタントの名目で原告に入社させ、原告の顧客管理、経営管理その他の事務に直接触れる機会を与えた。

(3) 被告は、競業行為の準備のため、平成七年一一月ころ、柏野賀成に、同人が原告において勤務した事実がないにもかかわらず、約一八万円をアルバイト料の名目で支給したか、又は、柏野をルエル・ドゥ・ドゥリエールで勤務させることにより、原告のケーキビジネスに触れる機会を与えた。

(二)(1) 被告は、競業行為の準備のため、平成七年一〇月ころ、原告の名義により、ルエル・ドゥ・ドゥリエールで使用するという名目で、テーブル四個及び椅子七脚を家具業者に注文し、同年一一月末ころ、原告をして、右代金を家具業者に支払わせた。

そして、被告は、これらのテーブル及び椅子を、原告の業務に用いず、家具業者に指示して、有限会社ルエルが経営する喫茶店ペーパームーンに納入させた。原告は、別件訴訟において、被告に対し、右代金相当額を請求し、被告は、右代金相当額の全額を支払うという内容の和解をした。

(2) 被告は、平成七年一一月ころ、原告をして、株式会社タスコからケーキ用器材(シフオンケーキ型二〇個、台車一台、ステンレスボール二個)を代金一九万五九〇〇円で購入させ、これを自ら受け取ったが、原告の工場には納入せず、競業行為のケーキ製造の準備等に供した。

(三)(1) 和田良知は、平成七年一二月七日、原告のケーキ製造に従事しておりケーキ製造の技術を有している外国人従業員に対し、新しい工場を作った旨、外国人従業員が右新工場に移される旨及び原告の工場の他の従業員らも共に右新工場で働く旨を述べて、あたかも有限会社ピー・エム ファクトリーの工場が原告の新工場であるかのごとく誤解させ、外国人従業員を有限会社ピー・エム ファクトリーの工場で働かせるように仕向けた。その結果、外国人従業員は、同月九日、原告での稼働を一斉にやめ、有限会社ピー・エム ファクトリーの工場で働き始めた。

被告は、和田良知と共謀し、右のような外国人従業員に対する引き抜き行為を行った。

(2) 関根は、平成七年一一月二五日ころ、原告の従業員であった大野健二ら二人をおでん屋に呼び出し、これらの者に対し、「実は誰にも言わないでほしいんだけれども、今度和田良知会長と一緒に工場を別でやるから是非一緒に行ってほしい。でも実はこれは表向きの話であって、本当は和田和子社長と専務である被告がやるべきところだが、アータルネーデルランドビーブイとの契約上、表向きは動けないから、関根と和田良知会長でやっていることにしている。もうある程度進んでいる。」、

「大手のドトール、長谷川実業、新日本恒産などは、こっちにくるのはもう確実だ。」などの発言をして、大野を有限会社ピー・エム ファクトリーに勧誘した。

被告は、関根と共謀し、右のような原告の従業員に対する引き抜き行為を行った。

(3) 被告は、和田良知と共謀し、原告のケーキの配送を行っていた運送業者の株式会社ヒルト(以下「ヒルト」という。)をして、平成七年一二月九日から、原告との取引を中止させ、有限会社ピー・エム ファクトリーの製造販売するケーキの配送に従事させている。

原告の扱う商品は、ケーキという生鮮食品かつ日配商品であるから、適時に配送するには商品と顧客に関する知識と経験が必要であり、また、一定期間配送を継続することにより、原告の商品を配送する業者として顧客との信頼関係が築かれるところ、被告は、このような知識、経験を持ち、顧客との間の信頼関係を有していたヒルトの引き抜き行為を行ったものである。

(四) 東京都千代田区有楽町所在の有楽町阪急百貨店(以下「阪急」という。)の食品課上席マネージャーの石崎公敏は、平成七年一〇月ころ、原告に対し、阪急へ出店するよう要請した。被告は、同年一一月ころ、石崎を、有限会社ルエルが経営するペーパームーンに連れて行き、石崎に対し、ペーパームーンを阪急に出店させてくれるように頼み、ペーパームーンの地下を新しく工場にしてケーキを製造販売する準備を進めていることを告げ、ペーパームーンの専務取締役であることを表示した名刺を渡した。さらに、被告は、平成八年一月四日、石崎のもとに新年の挨拶に行き、その際、石崎に対し、ペーパームーンをひいきにするようにとの趣旨の挨拶をするなどして、被告らの営業のために顧客を開拓した。

5  右4(一)ないし(四)の行為は、前記2(三)の有限会社法上の善管注意義務、忠実義務及び持分譲渡契約にづく競業避止義務に違反する。

6  原告は、被告の前記4(一)ないし(四)の行為により、顧客を奪われ、売上げが減少し、損害を被った。原告は、少なくとも二億一〇九三万円の売上げが減少し、同額の損害を被ったものであり、そのうち、平成七年一二月九日から同月三〇日までの間における売上げの減少額は、一五七四万七〇〇〇円であった。

和田良知、有限会社ルエル、有限会社ピー・エム ファクトリー、関根俊成、柳本牧絵は、裁判上の和解に基づき、原告に対して二〇〇〇万円を支払ったので、原告の損害のうち、二〇〇〇万円は回復された。したがって、損害の残額は、二億一〇九三万円から二〇〇〇万円を差し引いた一億九〇九三円となる。

7  よって、原告は、被告に対し、有限会社法上の善管注意義務及び忠実義務違反又は持分譲渡契約に基づく競業避止義務違反に基づき、金一億九〇九三万円及び内金一五七四万七〇〇〇円に対する平成七年一二月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実のうち、被告が昭和六三年五月二三日から原告の専務取締役であったことは認め、その余は否認する。被告は、平成八年一月三一日に原告の取締役を辞任した。

(二)  同2(二)の事実及び(三)の主張は認める。

3  同3の事実のうち、和田良知が原告の取締役会長であったが、平成六年一二月一日、原告の取締役会長を辞任したことは認め、和田良知が、有限会社ピー・エム ファクトリーを設立してその取締役に就任したこと、有限会社ピー・エム ファクトリーの事業として、原告の製造するケーキに酷似したケーキを製造し、これを、原告の顧客に対し、原告と同様の方法により販売し、原告の顧客を奪ったことは不知であり、その余は否認する。

被告は、原告に在職中はもとより、原告を退職した後も、有限会社ピー・エム ファクトリーには全く関与していない。

4(一)  同4(一)(1)ないし(3)の事実は否認する。

(二)(1)  同4(二)(1)の事実のうち、被告が、原告の名義により、テーブル四個及び椅子七脚を家具業者に注文したこと、別件訴訟において和解が成立したことは認め、その余は否認する。

(2)  同4(二)(2)の事実のうち、被告が、原告をして、株式会社タスコからケーキ用器材を購入させたことは認め、その余は否認する。

(三)  同4(三)(1)ないし(3)の事実は否認する。

(四)  同4(四)の事実のうち、被告が、石崎にペーパームーンの専務取締役であることを表示した名刺を渡したこと、石崎のもとに新年の挨拶に行ったことは認め、その余は否認する。

5  同5の主張は争う。

6  同6の事実のうち、和田良知、有限会社ルエル、有限会社ピー・エム ファクトリー、関根俊成、柳本牧絵が、裁判上の和解に基づき、原告に対して二〇〇〇万円を支払ったことは認め、その余は否認する。

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二1  請求原因2(一)の事実のうち、被告が昭和六三年五月二三日から原告の専務取締役であったことは、当事者間に争いがない。丙第一九号証及び弁論の全趣旨によると、被告は、平成八年一月三一日、原告の取締役を辞任したことが認められる。

2  同2(二)の事実及び(三)の主張は、当事者間に争いがない。

三1  請求原因3の事実のうち、和田良知が原告の取締役会長であったが、平成六年一二月一日、原告の取締役会長を辞任したことは、当事者間に争いがない。

甲第四七号証、第五九号証、第六二号証、第六三号証、第八八号証、乙第一九号証の一、三、第二〇号証、第二一号証、第二二号証の一ないし三、第二五号証、丙第一六ないし第一八号証、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

有限会社ピー・エム ファクトリーは、レストラン、喫茶店の経営、フランチャイズチェーンシステムによるレストラン及び洋菓子店の募集並びに経営指導等を目的として、平成七年八月一四日に、和田良知らによって設立された会社で、和田良知らがその取締役に就任した。同社は、同年一二月九日から、ケーキの製造、販売業を営んでいる。

有限会社ルエルは、レストラン、喫茶店の経営、フランチャイズチェーンシステムによるレストラン及び洋菓子店の募集並びに経営指導等を目的として、平成三年一一月一九日に、和田良知らによって設立された会社で、和田良知、和田和子、被告が取締役であったが、和田和子と被告は、平成七年九月一日、取締役を辞任した。

ヨーロピアン シュガーは、持分譲渡契約締結時に、原告のレストラン部門等を、別会社に分離することを求め、別会社として設立されたのが、有限会社ルエルであり、同社は、ヨーロピアン シュガーとは関係なく、和田良知らによって経営されてきた。有限会社ルエルは、設立時に、原告がそれ以前から経営していた東京都港区南麻布所在のペーパームーンという名称のレストランの営業の譲渡を受け、それを営業してきた。

ペーパームーンでは、営業が譲渡された後、平成七年一二月九日より前は、原告と取引があり、原告のケーキを出していたが、同日からは、有限会社ピー・エム ファクトリーのケーキを出している。また、ペーパームーンが在る建物の下の階に有限会社ピー・エム ファクトリーの工場がある。

2  右1認定の事実からすると、持分譲渡契約締結の際に、ヨーロピアン シュガー及び原告は、和田良知、和田和子及び被告が、有限会社ルエルにより、レストラン「ペーパームーン」を経営することを許諾していたものと認められる。

そうすると、被告が、レストラン「ペーパームーン」のためにした行為が持分譲渡契約に基づく競業避止義務に違反することはないし、レストラン「ペーパームーン」のためにした行為であるということから、直ちに取締役としての忠実義務、善管注意義務に違反することはないものというべきである。

四1  丙第一号証ないし第一三号証、第一九号証、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

被告は、原告の持分権者であったヨーロピアン シュガーから、それまで被告が行ってきたことについて細かな指示がされるようになったこと等により、原告の取締役を辞任して、従前から興味のあった音楽プロデュース関係の仕事に従事することを考えるようになった。

被告は、平成八年一月三一日に原告の取締役を辞任した後、同年二月ころから、和田良知の子である和田富雄と共に、米国のプロデューサーが有している音源の買付け、イベントの企画運営、CDの製作、販売等の事業を始めた。和田富雄は、米国での生活が長く、平成三年ころから、米国及び日本で、音楽のプロデュース等に従事していた。被告は、右のような事業を行うだめ、和田富雄と共に、米国デラウエア州法に基づき、ティー・ブレイク・インコーポレイテッドという会社を設立し、その米国における設立登記は、平成八年九月に行われ、日本においては、同年一〇月三〇日に営業所が設置された旨が、同年一一月八日、登記された。

ティー・ブレイク・インコーポレイテッドは、米国のディスクジョッキーをゲストに招いて日本各地で開催するクラブイベントの企画実行、レコード会社の依頼による米国のプロデューサーが制作した音源の買付け、ラフ・カットという新しいレコード・レーベルによるCDの製作等を行っている。ラフ・カットレーベルによるCDは、平成八年一一月二一日に二枚、同年一二月一八日に一枚、平成九年一月及び二月に各一枚発売された。これらのCDのジャケットには、テイー・ブレイク・インコーポレーテッド関係のエグゼクティブプロデューサーとして、被告の名前が記載されている。

被告は、平成九年三月に、石原伸晃衆議院議員の秘書となり、それ以来、秘書として活動をしている。

2  右1認定の事実によると、被告は、原告の取締役を辞任した後、音楽関係の仕事及び議員秘書をしているものと認められ、原告の取締役を辞任した後、被告が有限会社ピー・エムファクトリー及び有限会社ルエルの経営にかかわっていることを認めるに足りる証拠はない。

五  以上の事実を前提として、請求原因4について判断する。

1  請求原因4(二)(1)の事実のうち、被告が、原告の名義により、テーブル四個及び椅子七脚を家具業者に注文したこと、別件訴訟において和解が成立したこと、同4(二)(2)の事実のうち、被告が、原告をして、株式会社タスコからケーキ用器材を購入させたこと、同4(四)の事実のうち、被告が石崎にペーパームーンの専務取締役であることを表示した名刺を渡したこと、被告が石崎のもとに新年の挨拶に行ったことは、いずれも当事者間に争いがない。

2(一)(1) 原告は、被告が、競業行為の準備のために関根を原告の工場で勤務させた旨主張する。

(2) 丙第一七号証ないし第一九号証、証人関根俊成の証言、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

関根は、昭和六三年ころ原告に入社し、原告の命により、入社後一年ほどして、京都において原告のケーキと同種のケーキの製造に携わり、その後、名古屋において喫茶店の店長を務めるなどし、平成五年からルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長を務めていたものであり、平成六年一一月ころには、原告の従業員の中で最も勤務年数が長く、製造から営業に至るまで、原告の業務全般について経験を有していた。原告の工場は、責任者であった者が平成五年一一月ころ退職し、その後、責任者がいなかったが、平成六年一一月ころ、原告は、前年に比べて売上げが約二割、営業利益が約四割増加しており、ケーキ等の製造量も多くなったので、工場に責任者を置く必要性が生じていた。しかし、当時、原告の工場の従業員は、正社員となって一、二年未満の者ばかりであった。そこで、被告は、工場の責任者として関根が適任であると考え、同月ころ、関根に、工場の責任者を兼務させた。

関根は、そのときから、ルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長と工場の責任者を兼ね、その他に営業の仕事も行い、毎日午前七時ころから工場で勤務し、その後午後〇時ころから午後一二時ころまでルエル・ドゥ・ドゥリエールで勤務するようになり、工場は水曜日が定休日であったが、ルエル・ドゥ・ドゥリエールに定休日はなく、勤務時間が長時間にわたるようになった。

関根は、気管支喘息の持病があったが、右のように長時間にわたる勤務が継続すると、体調が悪くなり、気管支喘息の発作が起こるようになった。関根は、平成七年一〇月ころ、被告に、仕事を休ませてほしい旨を申し出、被告は、関根のルエル・ドゥ・ドゥリエールにおける勤務を軽減したが、関根は、同月一九日ころから、欠勤するようになった。被告は、関根の体調が回復するまでの間のアルバイトとして、柏野を雇用し、同月二一日からルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長の代わりとして勤務させた。

関根は、柏野の雇用は関根の体調が回復するまでということであり、体調が回復した後、原告における勤務条件が根本的に改善される現込みはないと考え、同年一一月初めころ、被告に対し、同月三〇日付けで退職する旨の辞表を提出した。被告は、関根が、原告に最も長く八年以上勤務していた従業員であり、社内でも責任ある地位に就いていたことから、慰留したが、関根は、慰留を断わり、同月三〇日、原告を退職した。

関根は、同年一二月七日、有限会社ピー・エム ファクトリーに入社し、工場長として勤務するようになった。なお、同社における勤務条件は、勤務時間が午前七時から午後五時ないし六時まで、毎週水曜日が定休日というもので、原告よりも勤務時間が短かった。

(3) 前記三1認定の事実及び右(2)認定の事実によると、関根が原告の工場の責任者になったのは、有限会社ピー・エム ファクトリーが営業を開始する一年以上も前で、同社ばまだ設立されていない時期であることが認められ、この事実に右(2)認定の事実を総合すると、被告が関根を原告の工場の責任者としたのは、関根の原告における経験、地位を考慮して、関根を工場の責任者にするのが原告の営業にとって適当であるとの判断からであると認められ、被告が、競業行為の準備のために関根を工場の責任者にしたと認めることはできない。

(二)(1) 原告は、被告が、競業行為の準備のため、柳本を原告に入社させた旨主張する。

(2) 丙第一九号証、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

柳本は、知人を通じて原告への入社を申し込み、平成七年一〇月中ごろ、原告に入社した。被告は、柳本に、取引先からのクレームの一元的な管理をしたり、被告に代わって届け物をするなど、営業の補助的な仕事をしてもらおうと思っていたが、柳本は、約一か月しか原告に勤務しなかったので、事務の手伝い等の補助的な仕事をしたのみであった。柳本は、アトピー性皮膚炎が悪化し、外見から分かるほどにひどくなったため、同年一一月三〇日、原告を退職した。柳本は、同年一二月八日、有限会社ピー・エム ファクトリーに入社した。

(3) 前記三1認定の事実及び右(2)認定の事実によると、柳本が原告に入社した時期には、有限会社ピー・エム ファクトリーは、営業開始の準備をしていたものと推認することができるが、この事実及び右(2)認定の柳本の入社退社の事実から、被告が競業行為の準備のために柳本を原告に入社させたとまで認めることはできず、他にその事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)(1) 原告は、被告が、競業行為の準備のために、柏野に、アルバイトの事実がないにもかかわらず約一八万円を支給し、又はルエル・ドゥ・ドゥリエールで勤務させた旨主張する。

(2) 丙第一四号証、第一六号証ないし第一九号証、証人柏野賀成の証言、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

柏野は、平成二年ころからの被告の知り合いで、飲食店の店長をしていたが、平成七年九月末にそこを辞め、仕事を探していた。

原告においては、同年一〇月ころ、ルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長をしていた関根が体調を崩し、店長の仕事ができなくなったため、被告は、同月一五日、柏野に電話で、関根の体調が回復するまで一か月ほどルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長の代わりをしてほしいと依頼し、勤務条件として、勤務時間と共に時給一一〇〇円という給料額を提示し、柏野は、これを受諾した。

柏野は、同月二一日からルエル・ドゥ・ドゥリエールの店長の代わりとして勤務した。柏野は、被告の指示に従い、早番の日は大体午前一一時から午後六時まで、遅番の日は大体午後五時から午後一一時まで勤務し、接客の他、伝票に記載された金額とレジスターの中の現金を確認し、売上金を所定の場所に保管すること、アルバイトの従業員を管理することなどの職務に従事した。

柏野は、同年一一月初め、和田良知から、有限会社ピー・エム ファクトリーで働くように勧誘を受け、同社で働くことを決め、原告を辞めることにした。被告は、柏野の働きぶりが良く、同月初めには関根から辞表の提出を受けていたため、関根の代わりに柏野に勤務を続けてもらうことが原告にとって好都合であると考え、慰留したが、柏野は、一か月という短期間の約束で原告で働いたものであり、定職が見つかったので今後はそちらに行きたい旨を述べ、慰留を断った。柏野は、同月一五日まで原告に勤務し、原告を辞めた。原告において、アルバイトの従業員に対する通常の給料の支払方法は、退職した者に対する分も含めて、毎月末締め翌月二五日払であったが、柏野の勤務は、一か月弱と短かったため、被告は、原告の経理担当者に、一〇月分と一一月分の給料をまとめて支払う取扱いをするように求め、関根は、同年一一月三〇日、柏野に対し、一〇月及び一一月分のアルバイトの給料として一八万〇四七〇円を手渡した。

柏野は、同月二七日から有限会社ピー・エム ファクトリーで営業企画本部長として勤務し始めた。

(3) 右(2)認定の事実によると、柏野は、平成七年一〇月二一日から町年一一月一五日までルエル・ドゥ・ドゥリエールで店長の代わりに勤務したことが認められるから、被告が、競業行為の準備のため、柏野にアルバイトの事実がないにもかがわらず一八万〇四七〇円を支給したとは認められない。また、右(2)認定の事実によると、柏野が右の勤務をするに至ったのは、同年一〇月ころ、関根が体調を崩し、店長の仕事をすることができなくなったためであると認められ、この事実に、柏野が退職を申し出た際に被告が慰留したこと等右(2)認定の他の事実を総台すると、柏野が原告に入社した時期には、有限会社ピー・エム ファクトリーは、営業開始の準備をしていたものと推認することができることを考慮しても、被告が競業行為の準備のために柏野をルエル・ドゥ・ドゥリエールで勤務させたと認めることはできない。

なお、甲第八九号証は、陳述書という題名で、被告の署名押印のある文書であり、平成七年一〇月二一日から同年一一月一五日まで原告の西麻布のカフェでアルバイトをしていたという柏賀之(又は柏野)という人については、関根を通じて名前を聞いたことはあるが面識もなく、店内で仕事をしていたところを見たこともない旨が記載されている。しかし、丙第一八号証及び被告本人尋問の結果によると、甲第八九号証は、原告代表取締役田崎正巳が文面を作成し、何の用途に供するのか明らかにすることなく、被告に署名を求め、被告は、柏野という人物は知っており柏という人物は知らないが、それでよければ署名する旨述べて署名したものであることが認められるから、甲第八九号証は、右(2)の認定を覆すに足りるものではない。

3(一)(1) 原告は、被告が、競業行為の準備のために、原告の名義によりテーブル及び椅子を家具業者に注文し、その代金を原告に支払わせた旨主張する。

(2) 前記1の当事者間に争いのない事実、甲第二一号証、第九三号証、丙第一九号証、第二一号証、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

被告は、平成七年一〇月ころ、原告の名義により、ルエル・ドゥ・ドゥリエールで使用するために、家具業者である有限会社エフオービーコープ(以下「エフオービーコープ」という。)に対し、テーブル四個及び椅子七脚を注文した。

ルエル・ドゥ・ドゥリエールのテラスは、同年の夏ころからタイルが剥がれるようになっており、被告は、タイルの張り替えをする補修が必要であると考えていた。被告は、同年一〇月ころ、一会という業者に、テラスについてどのような補修が必要か見積らせたところ、テラスの下部が空洞になっていて、そのままでは端の方から崩れるおそれがあり、補修工事をするとすれば、タイルの張り替えだけでは足りず、工事には約一週間を要するということであった。被告は、店を一週間閉店して工事をすることはできないと考え、補修を差し控えることにしたが、そのままでは、テラスに、注文したテーブル及び椅子を搬入することができなくなった。

被告が右の家具の処理に困っていたところ、和田良知が、ペーパームーンにおいて右の家具を使用することを申し出たので、右の家具は、被告の指示によって、ペーパームーンに納入され、ペーパームーンにおいて、レストランの営業に用いられている。

右の家具の代金は、三一万七六〇〇円であったところ、原告は、それを支払った。その後、和田良知は、エフオーゼーコープに対して、右代金額より四〇〇〇円少ない三一万三六〇〇円を支払ったため、右代金は、二重に支払われた状態となった。エフオービーコープは、その処理に困り、和田良知に代金を返還することを申し入れた。

和田良知は、二重払の状況を解消するため、エフオービーコープから代金の返還を受け、これを被告が和田良知から受け取り、原告に渡して支払った。

(3) 右(2)認定の事実によると、被告は、右の家具を、初めからペーパームーンのために購入したものではなく、和田良知からの申出によって転売したものであるから、そもそも競業行為の準備のための行為ということはできないが、仮に、初めからペーパームーンのために購入したとしても、レストラン「ペーパームーン」のための行為は、前記三2のとおり、持分譲渡契約に基づく競業避止義務に違反することはないから、同義務違反があるとすることはできない。

また、右(2)認定の事実関係からすると、被告に、取締役としての忠実義務違反又は善管注意義務違反があったものとすることはできない。

(二)(1) 原告は、被告が、原告に購入させたケーキ用器材を自ら受けとったが、原告の工場に納入せず、競業行為のケーキ製造の準備等に供した旨主張する。

(2) 原告代表者の陳述書である甲第五九号証には、右(1)の主張に沿う記載があるが、他にそれを裏付ける証拠はなく、右記載に反する丙第一九号証の記載及び被告本人尋問における供述を総合すると、いまだ、被告が、原告に購入させたケーキ用器材を自ら受けとったが、原告の工場に納入せず、競業行為のケーキ製造の準備等に供したものと認めることはできないというべきである。

4(一)(1) 原告は、被告が、和田良知と共謀し、外国人従業員に対する引き抜き行為を行った旨主張する。

(2) 原告の外国人従業員メアリー アンマ アビーの陳述書である甲第二四号証には、平成七年一二月七日、他の従業員と共に鎌倉方面へ社員旅行に出かけ、その夜横浜で行われた原告の忘年会に出席したこと、忘年会を終えてレストランを出ると、ワゴン車に乗った和田良知がいたこと、和田良知は、外国人従業員を広尾駅まで乗せて行ったこと、和田良知は、新しい工場を作った旨、原告の工場にいる大野や加藤も一緒に新しい工場で働く旨及び外国人従業員も一緒に新しい工場で働く旨の説明をしたこと、外国人従業員は、和田良知のそのときの説明から、新しい工場は原告の工場であると理解したこと、外国人従業員は、和田良知の指示により、同月九日から有限会社ピー・エム ファクトリーで働いたこと、原告の役員であるアーノルドが、同月一八日、外国人従業員のもとを訪れ、状況を説明し、メアリー アンマ アビーら四人のガーナ人従業員は、新しい工場と原告は異なる会社であることを理解し、同月一九日から再び原告で働くことに決めたことが記載されている。しかし、右陳述書には、被告の関与については何ら記載されていない。

また、甲第五九号証には、被告は、一年で最も忙しい一二月七日と八日を臨時休業にし、同月七日に従業員を日帰りの社員旅行に連れて行ったが、これは、同月九日から始まる被告らによる競業行為の準備のためであり、その旅行において、右のような外国人従業員に対する引き抜き行為が行われたとの記載がある。しかし、甲第六〇号証、証人関根俊成、同大野健二の各証言及び被告本人尋問によると、原告においては、同年一一月末ころに社員旅行が予定されていたこと、その時期多忙であったため、被告は、社員旅行を一二月七日に延期したこと、ケーキの出荷は前日から準備を行う必要があるため、同月七日に社員旅行を行った以上八日は休業せざるをえないこと、原告が一年で最も忙しいのは、同月一五日から二五日までの間であること、以上の事実が認められ、これらの事実によると、被告が、有限会社ピー・エム ファクトリーのために、殊更同月七日と八日を臨時休業にし、同月七日に日帰りの社員旅行に行ったとまで認めることはできない。

(3) そして、右(2)で述べたところに、被告が外国人従業員の引き抜きにかかわった事実はない旨の丙第一九号証の記載及び被告本人尋問における被告の供述を総合すると、被告が和田良知と共謀して外国人従業員に対する引き抜き行為を行ったとまで認めることはできない。

(二)(1) 原告は、被告が、関根と共謀して大野に対する引き抜き行為を行った旨主張する。

(2) 大野の陳述書である甲第二五号証には、大野が、平成七年一一月二五日ころ、関根から食事に誘われ、有限会社ピー・エム ファクトリーに移るよう勧誘を受けたこと、同年一二月七日の早朝、関根から、有限会社ピー・エム ファクトリーに移るかどうか返答を求められ、同日、和田良知から有限会社ピー・エム ファクトリーへ移るように勧誘を受けたことが記載されており、証人大野健二の証言中にも、同趣旨の証言が存する。

しかし、甲第二五号証の記載及び証人大野健二の証言の中の被告に関連する事柄のうち、被告が引き抜き行為に関与していたことの証拠となり得る事実は、関根が「実は誰にも言わないでほしいんだけれども、今度会長と一緒に工場を別でやるから是非一緒に行ってほしい。でも実はこれは表向きの話であって、本当はエミ社長と専務がやるべきところだが、アータルとの契約上表向きは動けないから、自分と会長でやっていることにしている。もうある程度進んでいるんだ。」と言ったということのみであり、その余は、大野が、右の関根の言葉を聞いて、被告と和田和子が一緒になって新工場を始めることを知ったこと、被告や和田和子が共に一連の流れを知っていると思い、この計画の首謀者は被告であると感じたこと、関根に対する行動の指示は何でも被告から出ていたので計画の裏には被告がいると思ったこと、被告が原告を辞めて和田良知と一緒に会社を起こすと思ったことなど、大野の主観や推測にとどまる。

そして、証人関根俊成は、右の発言を否定する証言をしている上、右の発言内容も被告の関与について明確なものではないから、甲第二五号証の記載及び証人大野健二の証言から、直ちに被告が関根と共謀して大野に対する引き抜き行為を行ったと認めることはできない。

(3) また、一二月七日と八日の臨時休業及び社員旅行については、右(一)(2)のとおりであると認められる。

(4) そうすると、いまだ、被告が関根と共謀して大野に対する引き抜き行為を行ったとまで認めるこはできない。

(三)(1) 原告は、被告が、和田良知と共謀し、運送業者であったヒルトに、原告との取引を中止させ、有限会社ピー・エム ファクトリーの配送に従事させている旨主張する。

(2) 甲第六二号証、第六三号証、丙第一九号証、第二〇号証、第二二号証、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

原告は、有限会社寛に運送を依頼していたが、運送業者を変えることにし、平成五年三月ころ、被告がヒルトに運送を依頼し、ヒルトは、これを受諾したが、原告とヒルトの間において、契約書は作成されなかった。ヒルトは、平成六年三月一〇日からトラック一台により原告のケーキの運送を開始し、同月二四日からは、トラック三台により運送に従事した。

ヒルトは、平成七年一二月六日までは、原告のケーキの運送を通常どおり行ったが、同月七日、有限会社ピー・エム ファクトリーとの間で、継続的運送契約を書面をもって締結した。ヒルトは、原告に対し、当初から、長期の継続的運送契約を書面をもって締結することを申し入れてきたが、原告は、運送に関して問題が生じたときに運送契約を直ちに解約することができるようにするとの意図で、長期の継続的運送契約を書面をもって締結することを断ってきた。ヒルトの専務取締役の内村博之は、同月六日も、被告に対し、電話で、長期の継続的運送契約を書面をもって締結することを申し入れたが、被告は、これを断わり、従前どおりとすることを答えた。

ヒルトは、同月九日朝、原告に通知しないまま、原告のケーキの運送に用いていた運転手及びトラックを、有限会社ピー・エム ファクトリーとの契約に基づく運送に従事させ、原告への配車を行わなかった。被告は、同月八日、原告の担当者から顧客の注文が異常に少ないとの連絡を受け、同月九日は、朝から原告に出勤していたが、ヒルトからの配車がなく、ヒルトのトラックが有限会社ピー・エム ファクトリーに行くのと見たという連絡を受け、内村を原告の事務所に呼び出した。内村は、原告のケーキの運送を同日から打ち切り、原告の運送の依頼には応じない旨を通告し、被告は、ヒルトが突然運送をやめたことに抗議し、運送を従前どおり続けることを求めたが、内村は、これを断った。

原告は、同日付けで、原告代表取締役和田和子、専務取締役石原洋の名により、「類似業者によるまぎらわしい営業活動についてのお知らせ」と題し、有限会社ドゥリエール又はF.D.という会社名で、原告の商品受注窓口が変更した等を通知して原告の商品のごとく納品を始めた業者があるが、原告は右の変更等はしておらず、注意されたい旨を記載した文書を顧客に送付した。

(3) 右(2)認定の事実によると、被告は、ヒルトと、原告を代表して交渉を行い、平成七年一二月九日に、ヒルトが原告への配車をしなかったときは、ヒルトの内村に抗議し、原告のケーキの運送を続けるように求めたものと認められるのであって、右(2)認定の事実から、被告が和田良知と共謀してヒルトに原告との取引を中止させ有限会社ピー・エム ファクトリーの配送に従事させている事実を認めることはできず、その他、この事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)(1) 原告は、被告が、被告らのために顧客を開拓した旨主張する。

(2) 前記1の当事者間に争いのない事実、甲第九号証、第四一号証、第四三号証、丙第一九号証、証人大野健二の証言及び被告本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

原告の営業にとって、銀座等の地の利のよい所に出店することは好ましかったが、原告単独で出店するのは難しいため、デパート内への出店は重要であった。原告は、有楽町西武百貨店に出店していたが、同百貨店が食品売場を廃止したことにより、平成七年一月ころ、同百貨店から撤退した。その後、原告は、出店先となるデパートを探していた。

東京都千代田区有楽町所在の阪急の食品課上席マネージャー石崎公敏は、同年一〇月ころ、原告に対し、阪急へ出店するよう要請した。同年一一月、石崎は、被告と会い、取りあえずクリスマス限りの出店を要請した。その際、被告は、石崎に、ケーキについてのガイドブックなどを見せながら、「ペーパームーンという店を知っていますか。一度見に行きましよう。」などと述べ、タクシーで、石崎を、ペーパームーンに連れて行った。被告は、ペーパームーンに着くと、「ここもドゥリエールが経営していますが、ペーパームーンをドゥリエールが経営していることはあまり皆さんには知られていません。ペーパームーンはドゥリエールとは異なるタイプのケーキを提供することができます。ここの地下でも、近いうちにケーキを作れるように今準備しています。まず最初はドゥリエールとして出店し、その後ペーパームーンの店も一緒にやってはどうでしょうか。」と述べ、更に「自分にはペーパームーンの名刺もあり、ペーパームーンの専務も兼ねています。」と言って、石崎に、ペーパームーンの専務取締役を肩書きとする被告の名刺を渡した。

原告は、同年一二月初めころ、阪急に出店し、その後、石崎から、出店を常設にするよう申入れを受け、現在に至るまで常設店を出店している。

被告は、平成八年一月四日、石崎のもとに新年の挨拶に行き、原告に辞任届を出したことを告げることなく、「本年もよろしくお願いいたします。」と述べた。

(3) 右(2)認定の被告がレストラン「ペーパームーン」に石崎を連れて行き、レストラン「ペーパームーン」を紹介した行為は、レストラン「ペーパームーン」のための行為であるから、前記三2のとおり、その行為が持分譲渡契約に基づく競業避止義務に違反することはない。

右(2)認定の事実に前記三1認定の事実を総合すると、被告は、レストラン「ペーパームーン」を紹介するにとどまらず、有限会社ピー・エム ファクトリーの工場ができることや同工場で作られた原告とは異なるタイプのケーキをレストラン「ペーパームーン」で提供することができることを述べているものと認められる。この発言は、有限会社ピー・エム ファクトリーのための行為といえなくもないが、それは、右のとおり競業避止義務違反とはいえないレストラン「ペーパームーン」を紹介する行為の中で述べられたものであること、その内容は、右認定のとおり抽象的なものであること、その後、被告が、有限会社ピー・エム ファクトリーのために石崎に対して働きかけをしたといった事実は認められないこと及び原告は、阪急に出店を果たし、右の発言によって特にその業務に支障をきたしたとは認められないことを総合すると、右の発言を、持分譲渡契約に基づく競業避止義務に違反するとまでいうことはできない。

また、以上述べたところからすると、被告に、取締役としての忠実義務違反又は善管注意義務違反があったものとすることもできない。

さらに、仮に、被告の右行為が持分譲渡契約に基づく競業避止義務違反若しくは取締役としての忠実義務違反又は善管注意義務違反に当たるとしても、右認定のとおり、原告は、阪急に出店しており、被告の右行為によって、阪急が原告との取引を中止し、有限会社ピー・エム ファクトリーと取引するようになったなどの原告の顧客を奪われたというべき事実を認めることはできないから、原告の損害との間に因果関係があるということはできない。

5 なお、前記4(四)(2)認定の事実に、甲第二〇号証及び第八六号証を総合すると、被告は、和田良知が中心となって有限会社ピー・エム ファクトリーがケーキの製造販売を始めることを予め知っていたものと認められる(ただし、被告がどの段階でどの程度の事実を知っていたかは、本件全証拠によるも明らかではない。)。また、原告が、もともと和田良知、被告らが持分を有し経営していた会社でることや前記四1認定の事実からすると、被告は、有限会社ピー・エム ファクトリーに親近感を持っていたものと推認することができる。しかし、右2ないし4のとおり、原告が、被告の義務違反行為であると主張する行為は、いずれもその事実を認めることができないか、又は義務違反となるものではないと認められ、被告が、有限会社ピー・エム ファクトリーがケーキの製造販売を始めることを予め知っていたり、同社に親近感を持っていた事実は、右認定を覆すに足りるものではない。

六  よって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森義之 裁判官 榎戸道也 裁判官 中平健)

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